地域包括支援について思うこと

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こんにちは!柿喰えばと申します。離婚まで秒読み(別居中)のアラフィフ主婦です。

以前父の死亡について記事を書きました。

父は末期がんで、自分でも長く生きられないことを解っており病院ではなく在宅で治療を続ける選択をしました。

センターの方から頂いたパンフレット┄感動しました

何となくは知っていたもののいざとなると頭に選択肢が出てきませんが、兄と奥様が詳しくて年末の忙しい頃に父のために遠方から実家へ帰ってきて電光石火の早業で手配を進めてくれました。

1月6日(土)

私がこの連休に行く予定をしてた金沢旅行をやめて1月6日の夕方に再び実家を訪れた時、丁度介護用品レンタルの方とお医者さんが来てくれていました。

介護ベッドと車椅子はこの日の14時に届き、お医者様は15時に初訪問でした。

地域包括支援制度のパンフレット等を見て「こんなにたくさんの機関の方々がお父さんを見守って助けてくれるのだなあ┄」と涙が出ました。

この後19時頃にお医者さんが手配した薬を薬局の方が届けてくれて、その中には次の日から始める点滴や貼る痛み止め(麻薬に匹敵するもの)、眠り薬や吐き気止めもありました。

1月7日(日)

前の記事に書きましたがこの日は早朝からお父さんをお風呂に入れ、9時に看護師さんが来てくれて点滴や貼り薬の処置をしてもらいました(トイレも一緒に連れていってもらえた)。

お昼ご飯を食べた後、父からまたお風呂とトイレコールがあり母と娘と私で四苦八苦しながら連れて行きました。

トイレもお風呂も済んだのでもう大丈夫だろうと娘を残し、母と私は買い物に行くことにしました。この頃は代わる代わる身内が来ており、食料の買い出しや父が欲しいと言った物を買うため(母は免許がない)どうしても行く必要がありました。

買い物を進めていると娘から

「お爺ちゃんがトイレに行きたいと言うので手伝ったけど、途中で倒れてしまった。一人では起こせないので早く帰ってきて」と、泣きながら連絡がありました。

とりあえずその場に布団を敷いて毛布をかけている。緊急連絡先にも電話し、看護師さんの手配をしたということでした。

父が欲しかったものを買うため少し遠くにいたし、「何で買うて来んかったんや」と言われるのが嫌で┄。私はこの日か次の日に帰る予定でいたので買い物を途中でやめることはせず┄┄娘やお父さんには本当に悪い事をしました。

まさかこの日の夜に死んでしまうなんて思わなかった┄┄。

娘は緊急の連絡先に電話をかけてくれていた

娘が緊急連絡先に電話をかけたのは16時頃┄私が実家に帰ったのは17時30分頃、看護師さんが到着したのは18時頃でした。

この日の朝来てくれた方も夕方の方も父の容態を良くするために処置を色々してくれて、そして本当に優しかったです。

今思い起こせばお二方とも父がもう永くないことを察していた(爪の色·指先の冷たさ·手足をバタつかせる等)様で父から離れた場所で

あくまでも本人や家族に無理のない範囲でできるだけ願いを聞いてあげる。

お互いに良い時間を過ごす

交代で休む(これは強めのお願いだった)

等のお話をしてくれました。

看護師さんがお医者さんの手配をしてくれましたが到着したのは19時30分頃でした。

お医者さんを待つ間父はずっと呼吸がゼエゼエと苦しそうで、両膝の裏が痛いとずっと皆でさすってあげていました。

「先生が来たら楽になるからね!」

「それまで頑張ろうね!」

と励まして私達も先生が何かしらの処置をしてくれる、とかなり希望を抱いていました。

先生は何も持っていなかった

結論から言うと先生はこの時何もしてくれませんでした。

素人の勝手なイメージですが、黒い鞄を持ったお医者さんが来て、その中にある注射器やら酸素のチューブみたいなものでとりあえずの処置をしてくれるんだと思っていました。

でも┄そりゃそうかって話なんですが、がん患者さんに使うような薬って強い物が多くて(麻薬とか)医者でも持ち歩くことはできないのだそうです。

「何とかこの状態を楽にしてあげたいんですけど┄」と先生も辛そうに話していました。

結局先生は薬の手配(薬局に連絡)をしてそこから薬剤師さんが薬を持ってきたらようやく処置が出来る、とのことでまた「何時間か後になる」と。

私達もがっかりしましたが恐らく父はもっとがっかりしたと思います。

先生は薬が届くまで家でずっと待機も出来ないので一旦出ました。

このすぐ後、父の様子が急変して┄さっきまでゼエゼエ苦しそうで体を起こしてくれと言ったりまた寝たり、手足をバタバタさせていたのに静かになってボーっと1点を見つめるような状態になりました。

お母さんは急いで先生を呼びに外へ出て、私もまた緊急連絡先に電話をかけ、父から離れてしまいました。

悔やまれるのは、この時父に駆け寄ってたくさん話しかけてあげればよかった。ありがとうとたくさん言えばよかった。もしかしたらまだそこにいたかもしれないのに┄。

母が外へ出ると先生はまだ車にいたので、父の様子を見に戻ってきてくれました。この時はまだ呼吸があったようで、今後の治療の話をしていました。

でも母がなんか変だなと父に近付き、私や娘も大声で父を呼びましたが反応はなく┄。

この場で父の死が確認されました。

自宅で最期を迎えたい

父の願いだったと思いますが、これは本人はもちろん看てあげる人も相当な覚悟が必要だと思いました。

7日のお昼頃、何度目かの父のトイレ&お風呂を手伝った時

「これ、私が帰ったらどうなるんだろ」

と思いました。

普段は父と母の2人暮らしです。母は父よりも小柄でそんなに力もないですし、こうも何度も呼ばれては┄。父も段々、時間とか周りの気持ちとか大変さがが解らなくなっていたみたいでした。

看護の方も先生もすぐには来られません。処置も薬も全てが後手になってしまいます。

もし、病院だったら┄苦しい状態をすぐに何とかできたのかな┄と思いましたが

病院では撮れなかったであろう写真

もし、入院していたら┄面会の時間もあるでしょうし、家族が頻繁に出入りして、ワイワイするなんて無理だったでしょう。最悪、死に目に会うことも出来なかったかもしれません。看護師さんが

「○○さん、こんなに足さすってもらえて幸せだよ~!病院だったらこんなことしてもらえないよ~」

と父に言ってくれていました。

今回、支援制度を始めてからわずか2日で父は逝ってしまいましたので私が体験したのはほんの一部分です。

父は末期のがんでしたのでこの様な事になりましたが、長期療養されている方は本当に有難い制度かもしれません。来て下さった先生や看護師さん、薬剤師の方々は本当に優しくて親身になって、一生懸命出来る限りの事をしてくれました。

ただ、もしかしたら本人もご家族(1人では難しい)も、苦しむ時間が長くなることもあるかもしれない、と思いました。

最後までお読み下さりありがとうございました。

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