こんにちは!柿喰えばと申します。離婚ホヤホヤ成人娘持ちアラフィフ主婦です。
雑記ブログならでは、な内容なのですが私の好きなミュージシャン・槇原敬之さんについて語りたいと思います。
※約30年前の記憶なので多少前後しているかもしれません🙇💦
マッキーとの出会い
私が初めてマッキーの曲を聴いたのは大学1年の夏頃…だったかな、当時地元を離れて大学の寮に住んでいました。ラジオから「どんなときも。」が流れてきて……
多分紅白でまだ浪人中のマッキーが出場していて、聴いたのは初めてではなかったかもしれませんが、親元を離れて独り暮らしをしていた時の私にはものすごく強烈にこの曲のメロディーや歌詞が刺さり
あ、実家に手紙書きたい!
とすぐにハガキを取り出しその場で「今、こんな曲が流れてきて手紙書きたくなったんだよ〜。元気だよ〜。」みたいな内容でポストに入れに行ったのを覚えています。
しかしこの頃はまだファンクラブに入ろうと思う程にはならず…(まだできていなかったかも)。シングルCD(彼女の恋人)に付いていた付録を友達にあげた記憶があるので、曲はまあまあ好きだけど一般的なファン止まりだったのかなあ、と。
大好きになったきっかけ
転機?が訪れたのは……元旦那と出会ってから💦…大学3年の時でした。
授業の数も減り暇だった私は、友人から子供達相手に一緒に遊んだりキャンプをするボランティアに誘われてそこで“結構マッキーに似てる”元旦那と会ってしまったんですね〜😅
マッキーが先か元旦那が先がもうわかりませんが、同時進行でどちらも大好きになり(愚かなり…😖)
最初は片思いだったのでボランティアのイベントが無い時はマッキーのPVカセット(VHS!)を買い、映像を見て癒されていました💦
そのうちファンクラブにも入り大学3年の冬に初めて友人とコンサートに行きました!当時も今もお馴染みのセンチュリーホール(名古屋国際会議場)でした!この時マッキーがハーモニカで“ムーン・リバー”を弾いてくれたのを覚えています。この頃のコンサート代金は3600円ぐらいでした!
それからはほぼ毎年コンサートへ…。
ヒットを連発〜CD全盛期の時代
マッキーは次々とミリオンヒットを飛ばし、CD全盛期でしたから、「何百万枚売れた」が人気のバロメーターになっていました。音楽番組もまだ多数ありましたからマッキーが何かしらの番組に出ると分かるとビデオに録画し、掲載されている雑誌もかなり買い漁っていました。
ただ、マッキー「デビューからひたすら走ってきたのでちょっとお休みします」と約2年間メディアに出ない期間がありました(私が大学卒業頃〜’95年始め)。このお休み期間に仲の良い人達と遊びのグループ(ハイテックヒッピーズと仰っていた様な)を作り、楽しく遊んで充電できていたみたいです。ファンクラブ通信やラジオ…は続いていたのかな?なのでそんなに寂しいとは感じていなかった気がします。
充電後の活動…楽しかったけど…
約2年の充電期間を終え、また以前の様にテレビや雑誌に出るようになり、1998年長野オリンピック開催の時にはトーチリレー応援ソング「足音」を発表。「GEORGIAの缶コーヒーに付いているシールを集めてシークレットコンサートへご招待!」のキャンペーンには必死に応募しました!
シール集めには父も協力してくれて…会社では情に厚いけど厳し目な父(上役だった)が娘の為にゴミ箱から缶を取り出している姿を部下の方々が見兼ねて手伝ってくれていた、なんて話も聞きました😭
あ、元旦那も同じ様な事をしてくれていたな…💦
長野オリンピックが始まる10日位前…1月22日に「Such a lovely place」のコンサートには母と一緒になぜか長野へ行きました!新幹線か特急か、特別な列車に乗ったのですがそれでも結構時間がかかり「長野市、遠!!」と思いました😅
長野駅はオリンピックムード一色で「オリンピックまであと◯日」の電光掲示板が置いてあり、まだまだ寒くて雪がたくさん残っていました。すごく良い思い出です。
この頃から…イヤ、シングル「SECRET HEAVEN」(’96年)の頃からかマッキーちょっとロン毛&のちヒゲ多めになって、私的には「何か変だな」と感じていました。あくまでも私個人の意見ですが😅男性芸能人て芸能界にこなれてきた頃一度はロン毛にする傾向がある気がします…。まあ、好みですけどね!
この年の春は「春だ!桜だ!槇原君祭り!」で初めて名古屋アリーナにボッチで参戦!!歌って踊ってジャンプして…
「コンサートって1人でも楽しめるんだ〜☀」と思わせてくれたまさしくお祭り感満載のコンサートでした!
冬には初めてのクリスマスコンサートが東京で行われ、旅行会社の企画とチケットセットでなんと帝国ホテルに泊まりました(独りで)
部屋に入ってTV(アナログ)を付けたら画面に「Welcome to Imperial Hotel 〇〇(私の名前)!!」と一瞬表示され、とても嬉しかったです。
クリスマス(イブ)?に一人で帝国ホテルに泊まるって…なかなかやりますなあ😄部屋、めちゃくちゃ広かった。
まあ、平日だっただろうし元旦那と結婚決まってたし、コンサートの為に来たんだし…「東京」「帝国ホテル」「マッキーのXmasコンサートに当たった!」とこれだけ楽しいカードが揃っていたので寂しいとは全く思わなかったですね!✨
マッキーと暫く会えなくなった
年が明けて1999年…私は元旦那と秋に結婚式を挙げるべく岐阜と豊田を毎週のように行ったり来たり……でもそんな中でも夏に開催されるコンサート「Cicada」を心待ちにし、ラジオ「Close to you」は聴き逃したくなくて毎週タイマー録音をしていました。
そして夏のある日、岐阜から夜遅くに帰ってきて楽しみにしていたラジオを聞こうとスイッチをいれたら、全然違う内容で“アレ?チャンネル間違えたのかな?イヤ毎週録ってるのに何で〜?”ととりあえず聴いていると
「本日は演者の都合により、内容を変更しました」
みたいなお知らせが入り、何かあったのかな…と心配になりました。
そしてそれからは連日マッキー逮捕の報道が…。
マッキーは法に触れるし身体を蝕む悪い事をしたけどだからといって嫌いになるなんてことはありませんでした。ファンクラブを辞める人もたくさんいたけど、勝手にいとこみたいな感覚だったので罪を憎んで人を憎まずで
またマッキーが復帰するまで待とう。
と割と冷静な気持ちでした。でも豊田から岐阜への移動中、車を運転しながらマッキー逮捕前のアルバム「Cicada」の「Name of Love」を聴きながら「マッキーはバカだなあ…。」と呟いた時初めて大泣きしました。
この頃のTVや雑誌の内容で覚えているのは
⭐️逮捕される時マッキーはコンサート「Cicada」の直前だった為「楽しみにしてくれている人達がいるからせめてコンサートが終わってからにして欲しい」と警察の人に懇願したそうです。もちろん無理だけど…。あ、こういうのって
「二度とこんな事しちゃダメだ」と一番強く思わせるタイミングで逮捕するのかな、と思いました。
⭐️マッキーを取り調べている警察署にファンからの手紙(酷い取り調べをしないで下さい等)が届いた。こんな事は中々無い事だ。
⭐️裁判で裁判官が「私はあなたの曲が好きです。これからも前向きになれる曲を私達に提供して下さい。」という様な言葉があった。
⭐️進め(ぬ?)電波少年!でお笑い芸人坂本ちゃんがケイコ先生と東大を目指すという企画中に、模擬テストの成績が良かった坂本ちゃんへのご褒美として、逮捕後の初アルバム「太陽」の中から一曲プレゼントしてあげる、と「彗星」か「Ordinary Days」だったかを番組内でかけてくれて、坂本ちゃんもマッキーファンも大喜び🎶
…マッキーの蒔いた優しい種が色んなところで芽吹いているような気がしました。
渋谷AXで会員限定LIVE!!
逮捕された次の年(2000年)にアルバム「太陽」を発表したりコレクション的なアルバムを出すもののまだまだ公に姿を表す事はなく……でも結婚生活も山あり谷ありで忙しく過ごしていると
ファンクラブ会員限定のLIVEのお知らせが!!
渋谷AXという小規模な会場で、本当に限られた人達だけが参加できる超難関なLIVEでしたか…当たりましたね〜🎉🎉🎉
そしてまた東京へ〜ヽ(=´▽`=)ノ
※あまりにも長くなったのでここまでを前編とします🙇最後までお読み下さりありがとうございました。
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